急に話題になり始めた衆議院解散と総選挙。北朝鮮問題で国連総会に向かう安倍首相の周辺で、衆議院解散の話が出始めました。そしていつの間にやら10月の解散総選挙が具体化し、国会議員やマスコミ、関係者もザワついてきています。
一体なぜ、以下この時期に解散総選挙を行うのでしょうか?、そしてその大義とは?
安倍首相は今回の解散を国難突破解散と表現しました。
色々と調べてみると、「衆議院解散は首相の専権事項」というフレーズは、憲法の都合のいい解釈であり、「国民のため」にという最も重要な視点が欠けていることがわかってきました。
しかし、そんな選挙に対してあなたや私がいかに臨んでいくのかという新しい視点も見えてきたのです。
Contents
「国難突破解散」のプロフィール
- 衆議院解散とは:日本国憲法下の国会において、総選挙を行うために衆議院を解散するものである。
- 解散手続き:解散の日から40日以内に衆議院議員総選挙を行い、その選挙の日から30日以内に国会(特別国会)を召集しなければならない(同54条第1項、公職選挙法第31条3項)。そして、日本国憲法は衆議院議員総選挙後に初めて国会の召集があったときには当然に内閣は総辞職する
- 解散の権限:日本国憲法において衆議院の解散は、内閣の助言と承認により、天皇が行う国事行為の一つと定められている(日本国憲法第7条3号)
なるほど、改めて見て見ると、「衆議院解散」というのは憲法7条で定められた事項で、天皇陛下が行う国事行為だということがよく分かります。
解散は総理の専権事項なのか?
上記プロフィールによると、「日本国憲法において衆議院の解散は、内閣の助言と承認により、天皇が行う国事行為」と書かれています。ということは、最近テレビなどで報道されている「首相の専権事項」とは少々異なるような気がします。
ちなみに辞書によると、「専権事項とは、限られた人物や組織の裁量によってのみ、判断や決定を下せる物事のこと」と書かれています。ということは、「衆議院の解散」とは内閣の助言と承認による天皇陛下が行う行為であって、内閣総理大臣一人の裁量でおk萎えるものではないですよね。
今回は、安倍首相一人が解散を主張しており、内閣の人々は「首相の専権事項だ」と言って閣僚自身の考えを述べていません。これでは政治を私物化してると言われても仕方がないように思います。内閣(閣僚)が解散をしなければならない正当な理由を国民や天皇陛下に助言・伝え、国民に何を問うのかを明確にして、初めて選挙に意義が出てくるものなのです。
憲法7条の真意とは?
衆議院の解散というのは憲法で定めたれた国事行為だということですが、その詳細は憲法7条3項に次にように記されています。(引用元:http://www.shugiin.go.jp)
第一章 天皇
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
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一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。ここで重要なポイントは次の二つで、このことを深く読み、良く理解しなければなりません。
- 内閣の助言と承認
- 国民のために
憲法学者であり、鋭いコメントで定評のある「木村草太 首都大学東京准教授(憲法学)」は、「内閣」と「国民のため」という言葉に注目して、もっと正しく憲法を解釈するよう述べています。決して首相一人が自由に決めるのではなく内閣全体としての助言が必要であり、そして解散は、何よりも「国民のため」なのだということです。
この「国民のため」だということを置き去りにし、党利党略や自己都合の良さだけで解散が行われてはならないのです。その真意を、「WEBRONZA」というサイトで次のように述べています。(引用元:http://webronza.asahi.com)
言うまでもなく、衆議院の解散・総選挙は、日本の政治権力の担い手を変化させるプロセスである。ところで、政治権力は本来、国民全体の公共の利益を実現するために存在する。そうだとすれば、衆議院の解散・総選挙の制度は、「どうすれば、公共の利益をよりよく実現できるか」という基準でデザインされなくてはならない。
果たしてあなたは、今回の解散総選挙が公共の利益の実現という基準でデザインされていると感じられるだろうか?
では、なぜ「首相の専権事項」と解釈され、事項都合・党利党略の材料として解散総選挙がおこなわっるよになってしまったのかということですが、その起源は吉田茂首相にまで遡ります。「1952年8月に国会も開かずに、衆院議長の応接室に各党代表を集め『解散』を宣言し『抜き打ち解散』と呼ばれた」という。
この時ある議員が「違憲ではないか」と提訴したが、最高裁が「政治性の高い解散は裁判所の審査圏外」と逃げたことから「首相の専権事項」として独り歩きしてしまったのだという。
国民に何を問うのか?2017年国難突破解散選挙の争点は?
さて、それでも、恐らく解散総選挙は実行に映されてしまうのでしょうが、安倍首相は国民に何を問うというのだろうか?果たして、「どんな国民の公共利益を実現」するために、何十億円もの税金を投じて総選挙をやろうというのだろうか?
- 消費増税?
- 北朝鮮危機への対応?
- 景気回復と財政再建?
- 憲法改正?
- ・・・・
総選挙の妥当性は一向に明らかにならず、与党の閣僚、政治家はその大義を答えることもできない。官房長官までもがただ「首相の専権事項だから」としか言いようのない状況の中で、あなたや私たちはどのように選挙に臨めば良いのだろうか?
しかし、よくよく考えれば、「選挙は有権者が主役」であり、時の政権や政治家に審判を下すタイミングであるということを、改めて認識したいと思うのです。木村草太教授が言うように「衆議院の解散・総選挙は、日本の政治権力の担い手を変化させるプロセスである」と言うことなのです。
政治家が憲法7条3項に記載された「国民のため」と言う文言をないがしろにするのであれば、あなたや私たち国民こそが、憲法7条3項の精神に法り、「国民のため」=「私たちのため」に、この解散総選挙に臨まなければならないのだと思います。
そしてその時の争点を、「大義」とは、まさに「2017年の解散総選挙に大義があるのか?」と言う点にしたいと思います。あなたや私たちは、時の政権から「2017年の解散総選挙に大義があるのか?」と問われているのです。
まとめ
ここまで、「解散」と言うものの制度や2017年解散総選挙の意義について考えてきましたが、そのポイントは次の通りでした。
- 衆議院の解散は憲法7条3項で定められた国事行為である
- 解散は「首相の専権事項」と言われているが、正しくは「内閣の助言と承認により、天皇が実施する国事行為である
- 天皇の国事行為は「国民のため」に実施されるのもである
- 2017年解散総選挙ので国民が問われているのは「この解散総選挙に大義はあるのか?」とうことではないか
是非とも問われたことに対して、投票行動で応えようではありませんか!
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