シニアの心に火を灯す 〜フランクルの言葉「信じなければ実現するものもしなくなる」

アウシュビッツ強制収容所でいつ死んでもおかしくないような過酷な状況で生きていたフランクル。このような、死の絶望からフランクルを生き残らせたものは何なのでしょうか?

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それは、「ロゴス」との接触という宗教的体験によるところが大きいと言われています。この「ロゴス」については、『ヨハネによる福音書』の冒頭で次のように語られています。

「はじめに言(ロゴス)があった。言は神とともにあり、言は神であった」

<出展元:https://www.amazon.co.jp>

フランクルは、「ロゴス」とお接触体験から得た「ロゴセラピー」の人類にとっての重要性を認識し、「ロゴセラピー」を後世に伝えてゆくことが人類に貢献する何かを生み出す可能性を持つ「者」の「責任」を自覚したのだと言えます。

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未来には、フランクルによってこの世に生まれるのを待っている何かがある。そに何かとは「ロゴセラピー」であり、その誕生を自分自身(フランクル)の死によって放棄していいはずがない。

そうしてフランクルは、仮に死んでしまうことになるかもしれないが、自分の生命を信じて、限りなく信じて、全力を尽くそうとしたのです。

信じてもダメかもしれないが、信じなければ、実現するものもしなくなる。実現できたはずのことを実現せずに終わらせてしまったら、人間存在としての責任を問われることになる。ならば、自分自身への信頼(信仰)を持つことは、人間としての責任の現れであり、この世に生まれてきた人間の気味とさえ言えるのではないでしょうか。

このようなフランクルの考え方は、私たちのような日々の生き方においても深く考えさせられるところがあります。人生後半へと突入してきたシニア世代。果たしてこの世に生まれ、現在歩んでいる「人生」からの問いに答えられているだろうか?

ょっとすると、あなたによって生み出されようとしている何かが、まだまだ未来に待っているのでしょうかないでしょうか?

どこかで、あなたを必要としている誰かがいるのではないでしょうか?

こう考えると、まだまだ強く生きていかなければならないのです。

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