小泉進次郎の人気の真実とは?演説がうまいから?母の影響とは?

2017年10月の衆議院議員総選挙は与党の圧勝となりましたが、特に自民党は単独過半数を維持しました。その立役者の一人として「小泉進次郎」が挙げられますが、テレビにも多く出演していました。しかし、あなたは次のような疑問をお持ちではないですか?

  • なぜあんなに演説や説明がうまいんだろうか?
  • なぜ自民党や首相を批判しても要職につき人気を維持できるんだろう?

<出典元:http://profile.ameba.jp>

この写真、確かにイケメンではありますが、ただそれだけでこれほど人気(国民からも、自民党内部からも)を獲得し維持できるとも思えません。

今回は、そんな小泉進次郎のの「人気の本質」に迫ってみました。

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人気の政治家「小泉進次郎」のプロフィール

小泉進次郎のオフィシャルサイト(https://shinjiro.info)に掲載されているプロフィールは次の通りですが、とてもユニークなプロフィールですよね。

  • 誕生日:1981年4月14日
  • 血液型:AB型
  • 家族:祖母は芳江で政治家小泉又次郎の娘、政治家小泉純也の妻
    父は政治家 小泉純一郎(第87・88・89代内閣総理大臣)
  • 趣味:野球、サーフィン、ゴルフ、読書、落語
  • 尊敬する人物:ジョン・F・ケネディ
  • 好きな言葉:「意志あるところに道はある」
  • 長所:ポジティブなところ
  • 短所:涙もろいところ
  • 学歴:平成16年3月 関東学院大学経済学部卒業
    平成18年5月 米国コロンビア大学大学院政治学部修士号取得
  • 職歴:平成18年6月:米国戦略国際問題研究所(CSIS)研究員
    平成19年9月:衆議院議員小泉純一郎秘書
    平成20年10月:自由民主党神奈川県第11選挙区支部長
    平成21年8月:衆議院議員
    平成25年9月:内閣府大臣政務官・復興大臣政務官
    平成27年10月:自民党 農林部会長
    平成29年8月:自民党 筆頭副幹事長

まさに由緒正しい政治家一家で、その経歴は政治家になるべくして歩んでいるようにも思えます。政治家になるべき人として様々な思考や経歴をつき重ねてきた小泉進次郎ですが、その様子は、小泉進次郎のオフィシャルサイト「https://shinjiro.info/」に掲載されて「エピソード」からも読み取ることができます。

今の小泉進次郎の姿を知る上で、「なるほど、だからか〜」と思えるようなエピソードが詰まっていますので、そのポイントをかいつまんでお伝えします。

小泉進次郎のエピソード

それでは、小泉進次郎のオフィシャルサイト「https://shinjiro.info/」に掲載されて「エピソード」をご紹介しながら、その魅力を私の想像力も加えながら深掘りしてみたいと思います。

幼少時代のエピソード

幼少時代の注目すべきエピソードとして、「眉間にシワを寄せた険のある子だった」という親戚談があります。今でも、議論を戦わせる時や記者かのインタービューに答える際に眉間にシワを寄せる表情が見られますよね。

このような表情から政治家としての迫力や信念を感じ取ることができますが、幼少時代から支持かとしての資質を兼ね備えていたのかも知れません。

小学校〜中学校時代のエピソード(夢)

小学校時代の夢は「プロ野球選手になる」ことだったようです。この時代から高校生まで野球に打ち込むことになるようですが、何か一つ「真っ直ぐ打ち込む」もを得る時代になったようです。野球に関する大きな思い出は、原辰徳選手の引退試合とのことで、その試合に涙したようです。

高校時代のエピソード

相変わらず、朝から晩まで野球漬けだったようで、本人は「野球にすべてをかけて燃え尽きた」といっています。また、家族もそれを応援していたようで「父は、忙しい中でも野球の応援に来てくれ、その父の思いが嬉しかった」と思い返しています。

ひとつのことに集中しすべてを捧げるという生き方が、小学生時代から高校時代まで続けた「野球漬け」時代に身についたのではないでしょうか。やはり、辛く苦しくても一つのことに集中し続け流という経験は、後の人生の大きな礎になるんですね。まさに、「政治家 小泉進次郎」の土台が築かれた経験と時代だったのです。

大学時代のエピソード

大学時代には、初めて父親である小泉純一郎の選挙応援をしたそですが、その印象的な光景として、「人で埋め尽くされた横浜駅西口での街頭演説の熱狂。あの景色は一生忘れることはないと思う」と語っています。

確かに、郵政解散選挙における小泉純一郎の国民人気は絶大でした。私が住む東京北区にも小泉純一郎が応援演説に来たのですが、赤羽駅前広場が聴衆で埋め尽くされ、かつて来たことのないような光景でした。

小泉純一郎は、総裁選では党内派閥論理を考えるととても勝てる見込みはなありませんでしたが、全国の自民党員の支持は絶大で、結果的には大勝利となりました。この時の経験が、「政治の主体は国民であり、かつ国民が変えていくものなんだ」という信念を芽生えさせ、現在の小泉進次郎の政治姿勢につながっているのだと言えます。

留学時代のエピソード

成18年5月より米国コロンビア大学大学院へ留学していますが、そのきっかけとなったのは、日本にいる時からいつか教わりたいと思っていたコロンビア大学のカーティス教授からの勧めだと言われています。見知らぬ地でも行動力を発揮して、目標に向かおうとした姿勢が見られますよね。

米コロンビア大のジェラルド・カーティス教授は、日本政治研究の第一人者として知られており、コロンビア大学東アジア研究所所長、コロンビア大学政治学部教授、東京大学法学部客員教授、慶應義塾大学法学部客員教授、政策研究大学院大学大学院政策研究科客員教授などを歴任した。

2015年末に退任したが、最後に「日本は復活したか?」と題した討論会を開いており、その討論会の様子が2015年12月19日に日経新聞電子版で次のように伝えられている。

カーティス氏は討論会で「官邸に権力が集中しすぎており、自民党や官僚機構による健全な意味での『チェック・アンド・バランス』が働かず、民主主義の危機にある」と主張。安倍政権が相対的に高い支持率を維持しているのは「彼に人気があるというより他に任せるべき人がいないからだ」とも分析した。

自民党については「政治家の教育システムが崩壊してしまい、若手の政治家には『本当の政治家の匂い』がしない」と語った。

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大学院での授業は大変で、特に授業ごとに読まなければならない本も多く、平均睡眠時間は3時間ほどの厳しい学生生活だったようです。この時の状況について小泉進次郎本人は、「限界に挑んでいるような日々で、常に全力のスピードで走っていた感じだったが、最大限自分を成長させられた機会でもあった。本当に大変だったので、ニューヨークを思い出すと今でもなんだか胸が苦しくなる」と語っています。

野球に打ち込んだのと同じように、ニューヨークでの厳しい勉学の日々も、その後の政治家の大きな糧になっているのだと思います。

戦略国際問題研究所(CSIS)時代のエピソード

小泉進次郎は大学院卒業後に、米国戦略国際問題研究所(CSIS)に入社し、研究員として働き始めます。入社当時は「日本部」という日本政治や日米関係などを研究する部門に配属され、日本・アメリカ・インドの三国間の関係に関する研究を行ったとか。

その関係でインドへも出張し、ムンバイ、バンガロール、ニューデリーを一週間で周ったようですが、その特に様子について、「インドでは、空港についた瞬間から、街の喧騒や、鳴り止まない車のクラクション等、言葉にはしがたいエネルギーを感じ、これが発展に向けてまっしぐらに進んでいる国か、と圧倒された」と語っています。

先進国とは異なるが、圧倒的な人口増と経済成長が進むインドの光景に、学ぶものが大きかったようです。このような仕事を通して、「世界の中での日本」というものを意識するようになったようですが、特に「日本で関心を持たれていること」と、「世界で関心を持たれていること」は一致しないということを身を以て感じとり、その後の政治活動においても、常にこのような視点を失わないように気をつけているようです。

「世界の中の日本」、「日本の中の地域」、「東京と地方」などなど、それぞれの地域の事情や住む人々の生活、特性によって感心毎は異なりますが、各々の視点にたつことができるかどうかが政治家として重要な資質。小泉進次郎は海外での生活や仕事を通して、政治家としての大切な資質を身につけて来たのです。

秘書時代のエピソード

日本に戻った小泉進次郎は、父親の秘書として活動を開始しました。地元で父の代理で様々な業界団体や町内会・商店街などの会合に出席して挨拶する機会が多くあったようで、やがて父親の地盤を受け継ぎ、政治家への一歩を歩み始めます。

街頭演説では、誰も聞いてくれなかったり世襲反対とペットボトルを投げつけられたりしたこともあったようですが、2009年8月の衆議院選挙で初当選。その時の感想について、「テレビで当確が出た時の率直な感想は、喜びではなかった。支えてくれた方々を裏切る結果ではなくてよかったという安堵感でいっぱいだった」と語っています。

現在36歳で当選回数4回、神奈川11区では敵なしの状況ですが、すごいのはその得票率。1回目は57.1%、2回目は79.9%、3回目は83.3%、4回目は78%。衆議院選挙の際、本人は全国の応援演説に回り、なかなか地元へは入れないようですが、それでもこの得票率で当選できるのは絶大な信頼がある証拠だと言えます。

小泉進次郎の語りかける力

さて、以上のような経歴を持つ小泉進次郎ですが、その演説にも定評があります。迫力があり、確信を持って語りかけてくる一つ一つの言葉に聴衆はクギ付けになり、声援を送ります。それでは、小泉進次郎の演説のポイントとはどのようなものなのでしょうか。

以下のポイントはいくつかの演説に共通して見られる傾向で、聴衆を惹きつけたり自身の主張を訴え聴衆に理解してもらう為のエッセンスが組み込まれています。

  • 文章を短くする
  • 難しい言葉は使わない
  • 具体的なエピソードを入れる
  • 聞き手の目線で話す
  • 聞き手に語りかけて共感を得る
  • ご当地ネタを入れる
  • 笑いをとる
  • 謙虚さを出す
  • 歴史上の人物の名言を引用する
  • 話題のニュースに触れる

<提供元:https://www.kyoto-jimin.jp>

これらのポイントは、小泉進次郎が生まれつき自然にできているわけではなく、演説や公開の前にキチンと準備されてた「システム」と言えます。そして、もちろんこのように語られる事は、小泉進次郎の信念、政治姿勢に基づいたものであり、行動が伴っているからこそ聴衆に受け入れられているのだと思います。

小泉進次郎の人気の真実

小泉進次郎オフィシャルサイト内の「私の志」というページに次のように書かれています。

「日本のために何ができるか。そう自分に問い、出した答えが政治家の道」

その想いの根幹は、東日本大震災、少子高齢化といった多くの国難の中で、それでもイノベーショを巻き起こして新たな発展モデルを創り出してゆくことが、現代に生きるものの未来に対する責任であり、そのような取り組みこそが、活気にあふれ幸せに生きてゆくことの源泉であるという基本的な考え方にあるようです。

「世襲」、「イケメン」、「演説上手」と上部がもてはやされる傾向にありますが、上記のような「思いの根幹」があるからこそ優れた上部(演説、スタイルなど)が表現されているのであり、「思いの根幹」こそが政治家としての人気の真実なのではないでしょうか。

このような「思いの根幹」に基づいた発言や行動であるからこそ、時には総理大臣に苦言を呈したところで、党内から大きな批判を帯びることなどなく、かえって「勇気ある発言や行動だ」と国民からの人気に拍車がかかるでしょう。

これでは、当面自民党の幹部からは外せない存在なんでしょうね。

まとめ

以上、小泉進次郎の人気の秘密を紐解いて来ましたが、そのポイントは次の通りでした。

  • 小泉進次郎は由緒正しい政治家一家に生まれ、政治家になるべく経歴を歩んで来た
  • 小学校〜高校まで野球に没頭し、何かに打ち込むという「集中力」、やり通すという「忍耐力」を身につけた
  • コロンビア大学では、厳しい授業にも持ち前の忍耐力で臨み、やり通した
  • ニューヨクでの生活は、日本を見つめる大きなきっかけとなった
  • 聴衆を惹きつける演説や公園は、戦略的に準備されたシステムである
  • 「日本のために何ができるか。そう自分に問い、出した答えが政治家の道」と言い切り、信念と意思を持って発言し、行動している(これが人気の根幹)

いかがでしょうか。まだ36歳と非常に若い政治家の小泉進次郎。こんな政治家が、将来日本の政界でリーダシップを発揮してくれるのかと思うと、日本の政治もまんざらではないなと思います。

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